天草地域医療センター、地震発生早期から被災地で活動しています。
熊本市内の大きな3つの病院が機能を失っているので、
(熊本市民病院、熊本地域医療センター、くまもと森都病院)
小児科医師を熊本市内の病院や仮設の診療所に派遣し、
看護協会がサポートする大きな避難所に看護師を派遣しています。
天草地域医療センターのJMAT(日本医師会災害医療チーム)は4月17日から、
毎日1チーム(医師、薬剤師、看護師2人、事務)が益城町で活動しています。
JMATの活動と現地の状況の一部を報告します。
4月19日火曜日
益城町は、地震による地盤沈下のため、あちこちの道路を補修中です。
惣領神社の社殿は崩れ、灯籠は倒れている。
倒壊した建物を見ながら、JMATは行く。
益城町保険福祉センターに着いた。
玄関に支援物資が届いている。
建物内の取材禁止が徹底しているので、ここでのマスコミはおとなしい。
お風呂がある。
お風呂の中はこんな風になっている。
手前が脱衣所、奥が浴槽と洗い場。
トイレは少ない。600人で19個。そのうち洋式トイレは1個。
それでも指定避難所だから、ましな方。
薬剤師会は移動薬局を持ち込んでいた。
この車で、薬局1軒の仕事ができる。
薬剤師会と一緒に写真。
自衛隊の救護班もここから薬をもらう。
朝のミーティングは午前10時から。
DMATが統括している。
早速避難所巡回。
まずは広安小学校。
教室の中は土足で、間仕切りがなく、
個人のスペースは畳1畳程度。
避難5日目、広安小学校ではもう褥瘡が発生していた。
被覆材の上からちり紙で押さえてあった。
とりあえず被覆材をとったが、処置が不十分で、
感染もありそうだったので、救急搬送した。
広安西小学校の保健室は診察しやすい。
動物診療車もいて、動物診療をしているようだ。
移動中の道路。炊き出し。
避難上は車両進入禁止地区にもあるので、警察に入れてもらった。
車がいないので動きやすいが、周りの景色はすごい。
道路工事は急ピッチで進んでいる。
橋が盛り上がっているわけではなく、
他が地盤沈下している。
益城町中央小学校、ゴミ捨て場になっていた。
と思ったら、旧中央小学校だった。
新しい小学校はきれいで、体育館も土足ではなかった。
また移動。
愛児園に行ったのに写真がない・・・。
500人くらいの収容施設。
避難環境は他に比べれば良さそうだった。
飯野小学校。400人くらい避難しているらしい。
ここは車中泊が多い。
窃盗団出没のお知らせがあった。
「はぴねす」に帰ると、入浴の時間だった。
本部に、今日の出来事が張り出してあった。
4月20日水曜日朝のミーティング。
昨日はDMATが統括していたが、
今日はJMAT本体が到着したので、引き継ぎ作業。
災害の超急性期にはDMATは絶大な力を発揮するが、
DMATは1チームごとに短期滞在完結型で、
もちろん引き継ぎはあるが、質をそろえるのは難しい。
災害発生から数日たって急性期になると、
JMATに次第に指揮系統を引き継いで行く。
災害では、指揮系統と意思の統一がとても大事。
JMATでもしっかりしているのは、兵庫と宮城。
今回の統括は兵庫のJMATだ。
JMATの統括は、かなりの期間、同じ人物が本部にいて指揮をとる。
このことがいかに大事か、わかっていたはずだが・・・。
長期化する、益城と南阿蘇はJMATがしっかり支援し、
地元の復興とともにfade awayする。
この日のお仕事は、JMATのアセスメントシートを使って、避難所のアセスメント。
まず最初は、総合体育館。
1200人+車中泊の人たちが避難する大きな避難所。
アスファルトがひび割れているのは、地盤沈下のせいだ。
マンホールも飛び出ているのではなく、回りが沈んでいる。
日赤のDMATの本部がある。
兵庫の日赤が、緊急ユニットを持ってきて設営している。
中は、患者さんも多いが、DMATであふれていた。
特殊医療救護車両、なかから大きなテントが出てくる。
これは熊本の日赤の車両。
このバイクもDMATの緊急車両。
渋滞の時も便利だ。
ここの代表者に聞き取り調査をした。
DMATより全体像を把握している。
食事はどんどん改善されているが、
トイレと個人スペースの狭さは問題のようだ。
昼食のうどんを待つ長蛇の列。
廊下の両サイドも寝食スペースだ。
犬が、同じスペースにいる・・・。
昼間はお出かけして、夜だけ車中泊の人の場所取り。
夜の人数は相当増えるらしい。
また移動。
コッコローチキンの建物は無事だった。
ここの鳥はおいしいので、復興したら、皆さん利用してください。
「物資あります」だって。
自宅で過ごす人たちには、物資が届かないからな~。
建て物のトリアージ。
二人組で緊急建物調査している。
赤は倒壊の恐れあり。
昨日通行止めだったところが、通れるようになっていた。
特別養護老人ホーム、いこいの里に到着。
上水道だけが出ない。
環境的は比較的衛生的で、入居者に加え80-90人が避難している。
今日はリサーチばかりだったので、
避難者の方々とお話ができて、
チームの皆は生き生きしている。
京都の保健師チームと一緒になった。
避難所に戻ってきた。
相変わらず薬剤師会は忙しい。
DMATが4月20日15時を持って引き上げる。
JMATに引き継がれた。
みんなで写真を撮った。
いつものことながら、一抹の寂しさを覚える。
帰りの東バイパスは混んでいて、その中レスキューや消防車が何台も出動。
余震の影響で、八代で何かあったらしい。
熊本市内の多くの学校は5月9日前後に再開予定で、
学校の避難所は縮小されるらしいが、
災害弱者のための施策はどうなっているんだろう?
ボランティア団体は連携をとるのになれているから、
後は指揮者を待つだけだが・・・。
オーケストラでは、誰もが皆トーンボーンを吹くわけにはいかない。
誰かが指揮をとらなければいけない。って誰か言ってたな~。
神戸、新潟、東北などの災害を経験して、多くを学んだはずなのに、
震災直後だからとはいえ、指揮系統が乱れ、統率がとれていない気がする。