キーワード:大震災 解除
東横イン一関はJMAT熊本チームの宿泊所。
毎日、部屋を変わらなければならないが、
おばちゃんが早くおにぎりを作ってくれるのは助かる。
バイキング方式。もちろんラップに包んで、持って行くのもあり。
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7時からだが、6時半頃には食べられる。
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気仙沼に行く途中見かける小学生が作った応援看板。癒される。
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最終日なので、健康管理センター「すこやか」の前で記念撮影。
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大分から黄色いバスに乗ってボランティアが来ていた。
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この写真。カメラ目線の人たちが中心人物。
真ん中の村岡先生は自分の医院を津波で失ったが、
在宅患者を多く抱えていたため、JRSを立ち上げた、立役者。
赤シャツの西尾さんのマネージメント能力はなかなかすごい。
立っているのは山口さん?定期患者をパソコンできちんと管理している。
彼女たちなしではJRSの活動は回らない。
入れ替わり立ち替わりやってくる医療支援者を上手にこなしている。
ライオンを鞭の音だけで操る、猛獣使いのようだ!
猛獣というより、わがまま猫だったかも・・・。
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朝のミーティング、今日はまた人が増えていた。
JRSのミーティングには歯科衛生士、保健師、栄養士など他職種が参加する。
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訪問先に出発。瓦礫のある谷を通って山に登っていく。
津波被害を免れた山の上に訪問先がある。
山の上から、瓦礫があったり冠水している谷を通って、また次の山の上に移動する。
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気仙沼線。
そう言えば、気仙沼の人たちの交通マナーはかなりいい。
復旧していないのに、踏切では一旦停止、線路の上には停まらない。
谷の中の信号機がない交差点でも、割り込みしないし、譲ってくれる。
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診察。ここではご主人の褥瘡の管理と奥さんの高血圧を診た。
電気が復旧すれば、エアマットなどはすぐに手に入る。
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訪問先の庭から。先に見えるのは大島。
ここの家はまだ電話が通じていない。
途中で、他県から来ている電話工事の車にあった。
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冠水地区の番人。絶対通してくれない。
今日から大潮だ。
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昼ご飯の時間が1時間半とれたので、陸前高田に行った。
陸前高田はほぼ壊滅状態で、住居はほとんど残っていないので、
気仙沼より瓦礫の撤去が進んでいる。
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たくさんの重機やダンプが入って、もういろんな建設が始まっている。
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さら地が多い。
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有名な一本松。枯れそうだけど・・・。
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矢部チームと合流し、申し送りも終わって、恒例の飲み会。
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翌朝の朝食風景。
一緒の日に来た熊本市のみなさん。1週間交代だそうだ。
我々は4泊5日で実働3日だから、今日は移動日。
朝食をここで食べて、昼用のおにぎりを持って行くのだそうだ。
市役所業務で制服姿だから、昼食を外に食べにいけないらしい。
我々の制服は白衣だが、白衣禁止だったので、
すぐに着替えられたし、どこにでも行けて楽だった。
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矢部チームを見送って、ミッション終了!
あとは、報告書を書くだけだ。
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震災の様子ばかりだったから、今回は診察の様子。

おふろ屋さん。

在宅の入浴サービスだ。

お風呂のあとに、診察と処置をする手はずになっている。

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軽の中に湯沸かし器がある。

水道が復旧すれば、このサービスが使える。

ホースが2本あるのは、お湯を入れるホースと汲み出すホース。

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お風呂は折りたたんで、女性二人で簡単に持ち運べる。

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肛門周囲膿瘍を見つけた。

お風呂サービスは最近復旧したばかり。

水道が止まっていてはお風呂に入れない。

家の人は熱心に介護をしているが、電気がなければエアマットは動かない。

除圧できなければ、褥瘡ができやすくなり、在宅で褥瘡の治療が始まる。

治療の甲斐あって、仙骨部の褥瘡は改善しているが・・・。

長い間お風呂に入れず、仙骨部の褥瘡にばかり気をとられ、

肛門周囲膿瘍に気づくのが遅れたようだ。

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診察の様子。

ふざけているわけではなく、Tシャツとジーンズは指定された格好だ。念のため。

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いつも朝8時からあるJRS(巡回療養支援隊)のミーティング。

我々JMATとPCAT(日本プライマリーケア連合会のチーム)はこのミーティングに参加する。

保健師さんのチームや栄養士さんのチーム、歯科衛生士のチームなども参加している。

ラフな格好が指定されているので、服装もバラバラ。

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DMATは別の大きな部屋でミーティングルーム。

彼らのユニフォームは決まってる。

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気仙沼はボランティアの車中泊が許されている唯一の地域。

テントはボランティアの受付。平日なのに数が多い。

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我々の巡回車。JMATで借りっぱなしのセレナ。

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冠水のため通行止め。

満潮になると広い地域で冠水する。

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我々は一応一般車両ではないので、冠水地区を通り抜けていく。

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冠水した地域は、魚が腐ったような独特の「臭い」がする。

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冠水したところに入るのはダンプや重機だけ。

普通の車が入れば釘をふんでパンクする。

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唐桑半島の先端の神社。

海面から10m以上あるが、松は津波で折れたようだ。

遠くに見えるのは、高村光太郎の句碑。

黒潮は親潮をうつ 親潮はさ霧をたて 船にせまれり。

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水平線がはっきりしないのは、狭霧のせいだ。

植物が枯れているので、津波の高さがわかる。

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滋賀県警のパトカー。大阪府警も見かけた。

気仙沼地区は関西の担当だろうか?

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丸焦げの林。全部燃えたらしい。

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冠水地区に戻ってきた。

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冠水に道をはばまれたと思ったら、今度は船が道をふさいでいる。

ナビは冠水も船も教えてくれないから、移動は大変だ。

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迂回した。

巡回診療は、津波の高さより高い山の上の家に行くのだが、

(谷の家々は津波にやられたので、住民は避難所や仮設住宅にいる)

山から山への移動の時は、谷の地域を通らなければならないので、移動に時間がかかる。

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5:00 天草地域医療センターに集合し、土砂降りの熊本空港についた。
(私は、前日熊本で勉強会があったため、前泊した)
9:40 熊本発(9:00発の予定だったが、雷雨のため出発が40分遅れた)
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12:20 モノレールを使って浜松町へ。土曜日なので比較的空いていたが、乗り継ぎはギリギリ。
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12:08 出発2分前に新幹線に乗り込んだ。空いている。
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スタッフは安心したのか、すぐに寝た。
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福島あたりでは、田植えをしていた。
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15:09 一関着。わりと閑散としている。
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これから4日間東横インに泊まる。
毎日部屋を変わってくれと言われた。どういうこと? 
これから夏になるのに、洗濯できないじゃん!!!
熊本県チームはずっとここに泊まるのに・・・。
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佐賀県チームとの待ち合わせは18:30のため、震災の影響を視察した。
人通りが少ない。
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人がいない。大震災の影響らしい。
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「世嬉の一」という蔵元の従業員が、2ヶ月ほど自宅待機していたと話してくれた。
蔵元が経営するレストランは、震災前までは土曜は予約でいっぱいだったらしいが、
今は閑古鳥が鳴いているそうだ。
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レストランの前に、藤村の句碑があった。
「ああ 自分のようなものでも どうかして生きていたい」
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まだ修理されていない震災の爪痕がいたるところにある。
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ここにも崩れた壁があった。
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19:00 佐賀県の白石共立病院チームから詳細な申し送りを受けた。

19:30 親睦会と全体的な申し送りをかねて、「ときわ亭」へ。
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